話が通じない自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者との話が

まったくかみ合わない、というのは

被害者自身がよく経験したことのある

ことだと思います。

 

特に被害者がどうしても

話し合いたいことほど、

まったく話が通じず

話し合いにならないということも

よくあります。

 

自己愛性人格障害者との話し合いというのは

難航どころか

余計に話がこじれてしまうのが

当然なのです。

 

 

たとえば

あなたが自己愛性人格障害者から

何かをされてつらかったとします。

暴言でもなんでもいいでしょう。

その自己愛性人格障害者の

暴言はもちろん、

被害者自身の責任になるでしょう。

 

その時点でもう、

被害者の「暴言をなんとかしてほしい」

という欲求は通らないことになります。

 

その意見を自己愛性人格障害者に

述べたところで、

 

「そもそもお前がああしなければ・・・」

と言い出すでしょうし、

過去のことも持ち出してくるでしょう。

 

まったく論点のずれたことも

言い出すとはおもいます。

 

 

何か、自己愛性人格障害者に

書類を書いて欲しいとしましょう。

書類というのは

 

これも責任が伴うものだったり

しますから、

自己愛性人格障害者はこれも

相談を受けること自体を

拒む可能性があります。

 

被害者がもし

「この書類を書いてほしい」と

頼んだら、

「いいよ」ということも

あるかもしれません。

 

 

 

ところが後日になると、

「そもそもなんで書かないといけないんだ」

と言い出し、

説明を要求するかもしれません。

 

説明を要求したあとに、

「意味がわからない」とか

「説明がうまく伝わるように

この書類を渡したやつを

呼んでこい」と

言ったりすることもあるかもしれません。

 

「なんで自分が書かないといけないんだ」

「そういう書類には同意しない」

「もっとわかりやすく説明しろ」

と言い出し、拒否することもありえます。

あるいはどんどん論点を

ずらします。

 

「説明はここに書いてあるから」と言っても

「そういうことじゃない」

と言ったりするでしょう。

 

本当に説明がわかりにくくて

駄々をこねているからではないのです。

 

要は、「そもそも責任のかかる

書類は書きたくない」と

暗に伝えているのです。

 

ですから

「説明はここに書いてあるから」と言っても

「そういうことじゃない」という

答えになってしまうのです。

 

そしてどんどん「書類」から

論点をずらしていきます。

話し合いにならないのではなく、

自己愛性人格障害者自身が

無意識に話し合いにならないように

しているのです。

 

しかし自己愛性人格障害者は

話し合いになっていると

考えます。

 

むしろ自分は理論的に

話しているとさえ

思い込んでいるでしょう。