部分的にしか物事を捉えられない

自己愛性人格障害者の特徴の一つとして、

「全体を見れない」

というものがあります。

 

自己愛性人格障害者というのは、

人格が確立しているわけでは

ありませんから、

一個のまとまった存在として

成り立っていないのです。

 

ですから、

自己愛性人格障害者の周りの人間に対しても、

「一個の存在」として見ることができません。

 

ですから、

個人は一つの個人としてみることが出来ず、

「あのときはこういう言うことを聞いた」

「この部分はこのとおりにやった」

「けどこの部分は思い通りになってくれない」

という部分的にしか見ることが出来ません。

 

そして自己愛性人格障害者というのは

この「この部分は思い通りになってくれない」

という部分を非常に拡大して捉え、

そこだけが強調されてしまい、被害的になり、

「こいつはこんなことさえしてくれない、

いや、わざとしないのだ」

「こいつが愚かな人間で、そんなことさえ

完璧にできないからだ」

という恨みつらみしか吐かなくなります。

 

「自分の思うとおりに家事をしている」

「自分の思うとおりの時間に寝る準備をしている」

「自分の思うとおりの食事を出した」

「けど、明日は会社の飲み会があるとか言っていたな」

となると、

この「自分の干渉できないような場所に行こうと

している」

というところだけピックアップされ、

 

「自分だけの時間を作って

お前よりもいい人生を送っているんだぞと

こっちに知らしめようとしている」

とまで思い込むこともあるのです。

 

そして、それは

「そういう酷いことを自分に対して

出来る、最低の人間」

ということになります。

 

「自分のパートナーが、

会社の飲み会に行く」

という部分だけが肥大して、

 

「自分よりもいい人生を送っているんだぞと

自慢しようとして、

会社の同僚とかいうどういうやつらかも

分からないのと隠れて何をしでかすか分からない、

最悪の人間」

とまで相手を落とします。

 

自己愛性人格障害者というのは

自分の思い通りにならないという

その部分だけに着目してしまって、

相手の全体像はまったくなにも

見えないのです。