自己愛性人格障害者は、
プライドが高いように感じることがあります。
しかし、優越感の高さが劣等感の強さ故に
確保されているように、
そのプライドの高さも劣等感の強さ、
自信のなさから生まれ出るものです。
ではプライドというのは生きるうえで
必要ない、邪魔なものなのか?
というと決してそうではありません。
要は、そのプライドの根源はどこから来ているのか?ということが重要なのです。
自己愛性人格障害者の責任感の強さが
責任感がないからこそ、責任感だけ訴える必要性があるように、
彼らは虚勢を張る必要はあります。
自分は孤高であり、プライドが高い人間である
と示すことでマウントをとりたいからです。
ただ、彼らのプライドというのは
それだけのものでもあります。
自信がないからこそのプライド、虚勢です。
しかし本来のプライド、つまり誇りというのは
自信に裏付けられたものでもあります。
ですから虚勢とは異なります。
虚勢を張るため、マウントをとるためだけのプライドなのか、
それとも自らの蓄積してきた経験や自信が
基となっているプライドなのか?ということは、
それにより人を攻撃するかどうか、でも見分けることができます。
すなわち、健全なプライドを持たず、
「自分はこれだけ偉ぶることのできる、実際に偉大な人間なのだ」
ということを訴えることに必死な人は、確実に自信のなさゆえに
虚勢を張っている、
つまり健全な意味でのプライドはない人間ということになります。