基本的に、
自分の本心というものは誤魔化されやすいものです。
誰がごまかすかというと、
「自分自身」ですね。
いわゆる自分の分身、もう一人の自分、
自分の影でもあり、自分の一部ともいえます。
遊びも何もしないという人が、
「遊びたくない、別に遊ぶことで
何か生産性があるわけでもなしに」
と言うのは、
それが本心かどうかは自分でもわかっていないという
ことです。
遊ぶ必要がない、と思っていることと
自分が遊びたいと思ってすらいない、ということは
因果関係はありません。
むしろ何かしらの理由で
「遊びたいというのが本心だが、
制限をかけて生きていく必要があった」
「遊びたいのが本音だが、
遊ぶことができない状況にいるので、
そう思うことをやめた」
というような場合があるのです。
それは、どちらも遊びたいという
気持ちはあるけれども、
それがかなわないこと自体がストレスになるけれども
どうやらいつまで経っても遊べなさそうだ・・・
つまりそのストレスがずっと続きそうだといったようだと
心を守るために、
「そもそも遊びたいだなんて思ってもいない」
ということにするのです。
これは、特別な人間が起こす心理防衛ではなく、
誰もが陥りやすい心理防衛ともいえます。
「防衛心理にがんじがらめになるのは
特別な、弱い人がなるものだ」と思っていると、
いつの間にか自分自身の本心がわからなくなってしまうという
状況に陥ることもあります。